accusationwrongdoingの日記

見過ごされてしまったある不正についての告発

『琉球新報』で多田治(一橋大学大学院社会学研究科教員)が犯した不正について

はじめに 執筆の動機

 

6,7年前にふと検索するうちにある論争に行き当たりました。その論争とは、多田治一橋大学大学院社会学研究科准教授(当時)と松島泰勝東海大学海洋学助教授(当時)とが『琉球新報』紙上で繰り広げられたものです。

当初、多田治氏に対して盗作疑惑を抱き、国会図書館まで行って、多田治松島泰勝氏の反論に答える」(『琉球新報』2007年9月3日朝刊)のほか、多田治「5月時評・沖縄の現実と知」(『琉球新報』 2007年5月28号朝刊)、松島泰勝多田治氏の「時評」に反論する」(『琉球新報』2007年6月9日朝刊)そして松島泰勝氏による再反論のコピーを取り、すべて読みました。

そのとき、以下に指摘する多田治氏の不正については気づいていました。しかし、筆者自身が当事者ではないこと、松島氏も2007年11月の再反論でかぎかっこを使った不正確な引用を行っていること、そして『琉球新報』が2008年に松島氏に時評の執筆を任せたこと、すなわち『琉球新報』が多田治氏と『琉球新報』が行った松島氏に対する名誉毀損の代償として松島氏に実益を与えて松島氏を丸め込み、手打ちにもちこんだように見られることなどを理由として、多田治氏が行った不正を告発するのも思いとどまりました。

しかし、今回、読み直してみると、たとえ多田治氏の不正をすぐに指摘できなかった松島氏の能力も多田治氏と同様にかなり怪しく、時評執筆をえさに『琉球新報』に丸め込まれて名誉毀損で訴える意思がないとしても、そして名誉毀損に関してはもう時効を迎えているとしても、多田治氏が『琉球新報』に書いた当該の文章は何の知的内容もなく、読者をペテンにかけただけのものです。この不正に関して、もう15年が経過したとしても、多田治氏は、この件に関して公の目立つ場所で謝罪をするなど、社会的責任を取っていないでしょう。それゆえ、筆者は、多田治氏の不正を告発することにもう躊躇する必要はないと思い、筆を執ることにいたしました。

以下、多田治氏の不正を告発するこの文章が引用元の文を改ざんしていないことを示す目的にかぎって、著作法を順守しながら、引用個所の写真も載せます。

 

多田治氏による流言飛語、そして名誉毀損のおそれのある文章改ざんについて

 

多田治氏が松島氏の著書を批判したことから始まった論争自体はただの凡戦です。お互い、自分の対面だけを気にして反論し、論点を絞り切らず、かみ合わない議論を延々と展開しています。しかし、多田治氏の議論がある点に差し掛かると、かみ合わない議論、つまらない論争の域を越えて、多田治氏が反則負けを宣告されなくてはいけない事態に陥ります。

 

問題の個所は以下です。

 

f:id:accusationwrongdoing:20220415180823p:plain

f:id:accusationwrongdoing:20220415180808p:plain

 

「この反応を見ると、氏は私以前に、著書を正面から批判された経験があるのだろうか。「島の人々の思いを軽視する驕り」など言われたら、もう何も言えない。(後略)

氏は石垣島出身でありつつも、経済学者として特殊な役割を負う。私はその研究の視点・枠組みの素朴さを批判しただけだ。なぜそれが、「島の人の思い」を軽視したことになるのか。この誤読・すり替え・飛躍。多様で複雑化した島の人の立場や思いを、内発的発展論はもはや代表し切れない」(「松島泰勝氏の反論に答える」)。

 

もう一度繰り返します。「島の人々の思いを軽視する驕り」など言われたら、もう何も言えない」。

(以上は、原文のまま引用しています。「など言われたら」ではなく、せめて「などと言われたら」とするべきであり、このことからも短い文章なのに推敲不十分で、松島氏を傷つけようとする意図、自分の言いたいことだけをがなり立てようとする意図が先立って、手を抜いて発表した文章であることがうかがえます。)

以上のように、多田治氏は、「思い」「驕り」という、論争においては若干ゆるい松島氏の表現を指摘します。すなわち、「人々の思いを否定する」と言われると、もう何も言えない、と。

 多田治氏には表現力も理解力もないので、ここでも「もう何も言えない」理由をまったく説明しません。しかし、まず、「思い」という視点から松島氏が反論するのは、学者にあるまじき感情論だと言いたいのでしょう。次に、多田治氏は大学の常勤のポストがほしくて沖縄に行っ(て箔をつけてから、一橋大学に常勤の職を得て、東京に帰ってき)ただけであり、沖縄では育っていないのに対して、松島氏は沖縄育ちです。ですから、「よそからやってきたおまえに沖縄の人間の気持ちは理解できない」と恫喝されたら、それ自体は非科学的で排他的な偏見、感情論であったとしても、そもそも「思い」は外在的なエヴィデンスのかたちを直接取らないので、反論ができないし、俗世での「まず他人の気持ちを理解しろ」という至高の通俗道徳の力も手伝って、こちらはもう黙らざるをえなくなる、と。

内在的発展論を批判されただけで、“自らも沖縄出身である松島氏が沖縄の地元の人々の「思い」(のみ)を振りかざして、つまり“われわれの気持ちはよそものには理解できない”という排他的・内在的な感情論や“人の思いが理解できない人間は人でなし”という人間社会の根本倫理を振りかざして、県外からやってきた多田に不当に沈黙を強いた、心理的に抑圧した。つまり、これ以上多田治氏が何か言うなら、多田治氏のことを人でなしであるかのようにみなす、そういう感情的な反論を松島は書いてきた”と。

この論争を通じて、多田治氏が “外在/内在という二項対立図式からの脱却” のようなポストモダン思想の教条主義なしに、松島氏の具体的なことばにもとづき、松島氏を具体的に批判しているのは、この一か所のみです。多田治氏が言っていることが正しければ、多田治氏の言うとおり、松島氏は「短絡的で感情的な反応」をしてしまったと言えるでしょう。

しかし、事実は異なるのです。

引用元の文章、つまり松島氏の原文を見ると、

 

f:id:accusationwrongdoing:20220415180813p:plain

 

「島の人々が歩んできた過酷な歴史や現実、試行錯誤、思いを軽視する驕りの言葉でしかない」。

 

とあるので、松島氏の書いた原文は、多田治氏の引用にあるほど単純な文ではありません。高校生程度の読解力があれば、松島氏が感情的な主張をしているかどうかに関して、多田治氏が行った改ざん前の文章と改ざん後の文章とは内容上まったく異なることは理解できます。

つまり、多田治氏は少なくとも「過酷な歴史」「現実」「試行錯誤」という、「思い」と同格のことばをわざわざいくつも削って、「島の人々の思いを軽視する驕り」ということばを作り上げています。

この違いは、内容を変えずに、字面、語句だけを変えたものであるとは言えません。なぜなら、「過酷な歴史や現実、試行錯誤」ということばを削ることによってしか、多田治氏は、松島氏が学者らしからぬ短絡的で感情的な反応する人間だと読者に印象づけられないから、つまり相手の文章を改ざんするだけではなく、改ざんを通して相手の論旨も捏造しているからです。多田治氏が松島氏のことばに因縁をつけたり、揚げ足を取ったりせずにこの部分を正面から議論するならば、多田治氏は松島氏の言う「思い」だけではなく、「過酷な歴史や現実、試行錯誤」をも対象としなければならないにもかかわらず、です。

 

f:id:accusationwrongdoing:20220415180811p:plain

 

「「沖縄への傲慢な姿勢」「性的関係への矮小化」「何の緊張感や負い目もなく」「現実と虚構の区別がつかない」「自分で硬直的な沖縄イメージを生産し、消費」など、あまりのご立腹と誤読ぶり。学者の短絡的で感情的な反応に冷めた」。

その結果、多田治氏は、松島氏の批判を「ご立腹と誤読ぶり」「短絡的で感情的な反応」と切って捨てて、自分には「傲慢な姿勢」「緊張感も負い目もなく」「現実と虚構との区別がつかない」「自分で硬直的な沖縄イメージを生産し消費」という批評は妥当しないと述べたものの、しかし、実際には、多田治氏は「傲慢な姿勢」で「緊張感も負い目もなく」「現実と虚構との区別がつかない」状態で「自分で硬直的な沖縄イメージを生産し消費」しています。つまり、「ご立腹と誤読ぶり」「短絡的で感情的な反応」を示しているのは松島氏ではなく、多田治氏自身であることになってしまっています。

松島氏が「島の人々が歩んできた過酷な歴史や現実、試行錯誤、思いを軽視する驕りの言葉でしかない」としか言っていないのに、「「島の人々の思いを軽視する驕り」など言われたら、もう何も言えない」とこの原文を改ざん、内容を捏造したまま、多田治氏はその改ざん、捏造のうえに、自分の反論を展開する。そのため、多田治氏の反論はただの茶番とペテンになってしまっています。この文の前後の論争の内容がどうであれ、ここで多田治氏は学者として、ライターとして、良識のある市民としては失格し、論争は反則負けに終わっています。

松島氏が「島の人々が歩んできた過酷な歴史や現実、試行錯誤、思いを軽視する驕りの言葉でしかない」(2007年6月9日朝刊)と書いてから、多田治氏が「「島の人々の思いを軽視する驕り」など言われたら、もう何も言えない」(『琉球新報』2007年9月3日朝刊)と書くまでに三か月近くが経過していました。新聞を三か月分捨てずに取っておく購読者はほとんどいないでしょう。読者は原文を確認しようがなく、多田治氏はデマを流そうとしただけではなく、実際に流してしまったのです。

三か月後に反論を書くにあたって、多田治氏は松島氏の文を注意深く正確に引用するべきでした。ひょっとしたら、松島氏の反論を確認せずに、自分のうろ覚えで書いたのではないでしょうか。しかし、その場合でも、松島氏に危害を加えることができれば、改ざん、捏造をしてしまうことはどうでもよかったのでしょう。

 

多田治氏は驕っているという松島氏の指摘は嫌がらせではなく、正しい

 

松島氏が多田治氏に対して「驕り」ということばを使うことがいやがらせではなく、正当であるかについて言うと、あとで繰り返しますが、多田治氏の時評には、具体的なことばで論旨を明晰にするよりも、「マゾ的」「太刀打ち」「地味(じみ)に、地道(じみち)に」というような比喩や押韻を軽々しく用いたり、あるいは学者なら「理解できる」とすべきところを「わかる」として口語調で書いたりするなど、驕って相手を愚弄していると解釈されても無理はない表現が多数存在します。「マゾ的」と言うものの、しかし、ここで多田は精神分析や心理学、語源となったマゾッホのことなど考えずにことばを濫用しています。「マゾ的な期待」ではなく、「うちなんちゅうに勝りたいのに打ち負かされたいという屈折(倒錯)した期待」と書くとか、「太刀打ち」ではなく、「十分には認識、理解、そして分析」と書くとか、多田治氏の言う「学者」ならもっとほかの明晰な書きかたができるでしょう。多田治氏は自身に文才があるとうぬぼれているのはわかるのですが、俗っぽい慣用語句を多用する多田の日本語文体は、誤解を引き起こしやすい悪文です。比喩を濫用するこういう文章は、学者よりも、ちょっと成功して自信過剰な俗物やビジネスパーソンが書くものです。ある程度分別のあるはずの37歳の准教授、ライターが誤解を引き起こしやすい慣用語句を多用する文体を書くことは、読み手には愚弄、挑発に見えても、しかたがありません。さらに、他人を批判するばかりで、松島氏の反論の見出しにあるように多田治氏自身が考える解決策や「様々な立場や思い」について具体的分析を提示していません。職場についてなど多田治氏の個人的なことや「マゾ的な期待」「冷めた」など余計な個人的な心情も書かれています。自分の意志、選択でではなく、記者に頼まれたからしかたなく松島氏の著書を批評したように受け取れる失礼な表現もあります。その書評も著作の内容のまとめすらしていません。

やはり多田治氏は驕っているでしょう。

 

多田治氏と松島氏の論争について――「自身の解決策を提示せず」の多田氏の日和見

 

実際に読んでいただければ、多田の文章のひどいこと、そして二人の論争が退屈でかみ合っていないことがよくわかると思います。すでに論争自体は退屈な凡戦だと申し上げました。空手にたとえると、多田、松島氏両方とも演武はできるけれども、実際の対戦には向いておらず、自己陶酔的に持説を垂れ流すだけに終わっています。うちなんちゅうとやまとんちゅうという違いはあっても、両方とも沖縄を題材にして目立ちたいだけに見えます。

そもそも、松島氏が多田治氏と同様に自分の体面、プライドばかりを気にしてとにかく数多く批判点を作るのではなく、「自身の解決策を提示せず」という方向に絞ったうえでこのあとの再反論で多田治氏のでっちあげを大きく指摘して、騒いでさえいれば、この論争は2007年に多田治氏と『琉球新報』の完全な反則負けに終わったのです。

しかし、一応、問題の個所に至るまでをざっとまとめます。

 

f:id:accusationwrongdoing:20220415180818p:plain

 

まず、多田治氏が沖縄自立派(=内発的発展論)と基地依存派の双方を全否定する。しかし、結論は「困難だが、地味に、地道に続けていたい」という韻を踏むだけの抽象的な結論で閉じています。

大学入試の小論文添削指導ならば、「いろんなことを激しく批判しながらも、結局、具体性のない理論ばかりを述べて、日和見をして終わっています。課題文を批判するだけではなく、もっと具体的な解決策や分析を自分なりにではあっても提示しましょう」と書かれて、平均点以下の得点しかもらえないでしょう。

たとえば、基地依存も完全な独立・自治も非現実的、維持不可能なので、USJ、ディズニーランドなどのテーマパーク誘致によって基地跡に観光を充実させてはどうか。それがアメリカ型の帝国主義植民地主義に与するだけだと言うのなら、こういう制限をつけて漸進的に・・・などの方向での建設的な議論は大学受験の小論文や大学生のレポートの次元でもできるでしょう。多田治氏はそれすらしない、できないのに、偉そうに他人の意見を全否定する。

多田氏がこの論争までに出版した『沖縄イメージー青い海のカルチュラル・スタディーズ』(東洋経済新報社、2003年)、この論争のあとに出版した『沖縄イメージを旅するー柳田國男から移住ブームまで』(中公新書ラクレ、2008年)も沖縄に関する観光社会学の"業績"です。(ジャーナリストではなく、学者が中央公論新社から新書を出版するなら、「中公新書ラクレ」ではなく、「中公新書」としてではないでしょうか。)しかし、多田治氏が沖縄の基地問題の解決策につながるような研究を辛抱強く続けた痕跡はありません。「困難だが、地味に、地道に続けていたい」という多田氏のことばも他人を批判、軽蔑するために存在しない優位な立場をでっちあげるただのペテン、ごまかしであったことは、14年経過した現在からみれば、明らかです。

 

・ただの写し間違い、勘違いでは済まされない、多田治氏による悪意あるいやがらせの連続

 

以下、「松島泰勝氏の反論に答える」のなかの多田治氏の悪意ある表現について列挙していきます。

まず、相手のことばだけを引用して、理由を説明せずに「ご立腹と誤読ぶり」と断定しています。印象操作です。松島氏に敬意も抱いていないのに、学生が陰で「先生ご立腹だね」と「ご」をつけて先生のことを揶揄するような感覚で書いています。「誤読ぶり」も文法上まちがいではなくても、用法上は「女っぷりが上がった」「飲みっぷりがいいね」などと口語で用いるのが適当な表現です。「誤読ぶり」でなくても「誤読の数々」「ひどい誤読(の仕方)」でよいでしょう。なのに、「誤読ぶり」と書くのは、多田治氏が論争と口論や飲み会での会話とをいっしょに考えているからでしょう。相手を嘲笑するためにわざわざ「ぶり」という不自然な語をつけています。

次に、「学者の短絡的で感情的な反応には冷めた」。これも嫌がらせです。松島氏の反論は理解しにくく煩雑ではあっても、そのぶん、感情的ではありません。多田治氏と違って、暴言は吐いていません。おそらく松島氏は故郷の地方紙で批判されたので、困惑しているのではないでしょうか。その一方で、批判されれば、少しぐらい感情的になるのは当然のことですから、その一般論を無視して、わざわざ指摘する必要があるのでしょうか。

ここで多田治氏は「冷めた」の主語を明示していません。しかし、「冷めた」のは「気持ち」や「感情」でしょう。「理知が熱くなった、冷めた」とは言いません。ならば、冷静、理性を失って「冷めた」という、「学者」にしては「短絡的で感情的な反応」をしているのは、多田治氏のほうではありませんか。“冷静に議論する”という自分が立てたルールに自分自身が反しています。「短絡的で感情的な反応」という表現は自分のことを棚に上げたいやがらせでしかありません。あるいは多田治氏はこの論争を恋人同士の別れ話か何かと勘違いして「(もうおまえには)冷めた」と書いているのでしょうか。相手が少しでも感情的になることは問題視しておきながら、自分が「冷めた」ことは何も問題がないかのように時評に書く。ここでも傲慢で、ことばの感覚が不足していますよね。

それから、「この反応を見ると、氏は私以前に、著書を正面から批判された経験があるのだろうか」。この論争の文脈や当事者の背景を考えれば、いくら疑問文にとどめ、断定を避けているとはいえ、「この反応を見ると、氏は私以前に、著書を正面から批判された経験があるのだろうか」という表現は、「ここに准教授にふさわしくない未熟で未経験なバカがいますよ」「この人はただのお山の大将ですよ」と読者に叫んでいるのも同然でしょう。松島氏は多田治氏にとって早稲田大学政治経済学部の7,8年先輩です。松島氏も何年もかけて持説を構築、展開するうえで議論も経験してきたでしょう。自分よりも研究歴が長く、同じ職階の人間によくもこう言えるなと思います。筆者の嫌いな最近よく使われる俗語ですが、これも、いわゆる“ブーメラン”となって多田治氏自身に返ってきています。ここで多田治氏が意図するとおり、“大学の准教授であっても、お山の大将はいる”。そのとおりですが、多田治氏と松島氏のどちらがお山の大将なのでしょうか。「アホ、ボケ、死ね、カス」ということばや断定さえなければ、いやがらせではないという認識には呆れ返ります。

もちろん、松島氏の根本的な知性が疑われる証拠があれば、多田治氏が“研究歴の長い准教授はとりあえず信用しろ”という常識を疑うことも許されるでしょう。しかし、「この反応を見ると」と言いながら、多田治氏はこの直後に上記の改ざんを行っており、多田治氏の「この反応を見ると」とは、自分を批判してくる人間を何としてでも“批判を受けたことのないうぶな奴”として傷つけたいほどに自己愛の強すぎる変人が、自分に都合よく大きく他人をゆがめた認知なのです。

それから「多様で複雑化した島の人の立場や思いを、内発的発展論はもはや代表し切れない」。これが多田治氏の全主張なのでしょう。どの立場でも複雑で多様な現実を代表しきれないのは当然です。こう言われたほうが「何も言えなくなります」よね。「現実を変えたいんです」と言う若者に対して、「そうは言っても現実にはいろいろあってねえ」とだけ言って冷笑するおじさんと変わりがありません。そうならないように、「多様で複雑化した島の人の立場や思い」の理念系、典型例をいくつか示すべきです。しかし、ここでも、「多様で複雑化した島の人の立場や思い」ということばで終わって具体策につながる自分の意見を提示しない。多田治氏は批判のため、嫌がらせのため、口論に勝つために議論をしています。多田治氏は最後まで自分自身では沖縄の多様で複雑な現実を分析しようとはしません。

また、松島氏をはじめとして多くの著者が内在的発展論という東京の出版社が抱く琉球イメージを再生産するように書かされていると多田治氏は指摘します。しかし、そこまで言うのなら、多田治氏自身は一橋大学赴任前に沖縄に常勤の職を求め、沖縄を研究しながら、沖縄を食い物にしていなかったと言い切れるのでしょうか。多田治氏は常勤の職にあぶれるのが嫌で、とりあえず本土から沖縄にやってきただけの植民者ではないのでしょうか。やはり、多田治氏以外の沖縄の歴史を知る本土のインテリは何かしらの負い目を沖縄に感じているでしょう。松島氏が指摘するように、その負い目は多田治氏にはありません。沖縄に関わる人にもいろんな立場や思いがあるので、単純に「うちなんちゅう」と「やまとんちゅう」とを対立させるなという多田治氏の主張は一見正しくても、植民者としての多田治氏自身が自身の職と研究のために沖縄を利用してきたミクロの政治性、すなわちコロニーで一旗揚げて本土に帰ってきたことのミクロの政治経済性を無罪にするものです。多田治氏が信奉する後述のピエール・ブルデューは清廉潔白な人柄だったので、ブルデューこそが多田治氏が自分の利害関係をこういうふうに隠ぺいすることを嫌ったと思います。

f:id:accusationwrongdoing:20220415180806p:plain

きわめつけは「同じく藤原書店の、ピエール・ブルデューの本を数冊読み、理解していただけばよい。再反論は、それで自己を複雑化した後にしてください」。よくこういう相手を"単細胞(=バカ)"だとほのめかして侮辱するような文章をいい気になって書けますよね。デマを流したうえでの侮辱ですから、名誉毀損に当たるのではないでしょうか。沖縄にかぎらず、「現実は複雑で多様」なのは当然で、そのことはブルデューを読まずとも理解できます。ブルデューの主著『ディスタンクシオン』『ホモ・アカデミクス』『国家貴族』『再生産』のどれも沖縄研究とはまったく関係がありません。

 

f:id:accusationwrongdoing:20220415180820p:plain

 

多田治氏も触れているように、新自由主義のなかでは実学が尊ばれます。多田治氏は「アメリカ型のネオリベラリズム」「業績主義」を批判していますが、これらがなければ、無教養な俗物でしかない多田治氏は教官にはなれなかったでしょう。多田治氏は大学院の修士課程のころまではブルデュー理論社会学を研究していたけれども、学界での自分の生き残りのために実学傾向に適応したかった。だから、多田治氏は、自分の利害関心上、ブルデュー社会学を発展させたところに自分のその後の沖縄観光社会学が生まれたように学界内でふるまいたかっただけです。すなわち、実際には多田治氏の沖縄研究とブルデュー社会学とのあいだには必然性はなく飛躍しています。

こういった議論を抜きにしても、もう2007年のころにはインテリなら、このように「この薬を飲まないと、この手術を受けないと、絶対に治らない、うちではもう診察しない」というような抑圧的な“先生”の言いぐさは典型的なパワハラ、嫌がらせであることは明らかであったと思います。沖縄の基地問題にとってブルデューが唯一の解決策でも基礎理論でもありません。多田治氏のお得意の言い回しを借りれば、方法は多様で複雑です。これさえやっていればだいじょうぶだ、これをやらなければ絶対だめだなんてことはほとんどないでしょう。自分が議論から逃れるため、相手との口論に勝つために、対話や研究に必要もないのに相手ができそうにないことをしろと多田治氏は松島氏に言って、松島氏を黙らせようとしています。ただのいやがらせです。

お互いの体面を気にしているだけのようなこの論争を通じて、松島氏にはなくて多田治氏にあるのが、多田氏自身が傲慢なやりかたで松島氏を批判して論争のきっかけを作っておきながら、論争相手が自分に反論しようとしただけで、何が何でも相手に危害を加えてやろうとする悪意です。最終的に多田治氏が行ったのは議論、論争ではなくて、口論、いやがらせ、私刑です。

たとえば、ポーカーにたとえると、以上の論争で、多田治氏は、相手の表情が見えないのに「負けそうになってご立腹だね」、「感情的だね」、「おまえ、ポーカーしたことないだろ」とゲームと関係のないヤジばかりをいやがらせとして飛ばしたあげく、「おれの勝ちだ、ロイヤル・ストレート・フラッシュ!!!」と言いながら、勢いよくカードを出すものの、しかし、よく調べると、カードの数字や記号を自分で書き換えたいかさまの跡があり、「オレの好きなプレイヤーについて勉強しないかぎり、再戦には応じない」とさらにいやがらせを吐いて逃げたのです。

 

多田治氏の被害妄想

 

やや横道にそれますが、そのほかの点について。

そのほか、多田治氏は沖縄の基地問題とは関係のない自己中心的な被害妄想を露わにします。

衝撃の「実質週七日の過酷な労働」ということばも出てきます。採用時に労働条件については説明を受けたのではありませんか。もし「実質週七日の過酷な労働」が事実で、あえて新聞に書くのなら、多田治氏は一年ぐらい前に一橋大学に勤務実態に関して騙されて、つまり強制連行されてこの年の四月から一橋大学で勤務し始めたとしか受け取れません。本当なのでしょうか。労働条件について確認しない多田治氏のほうに問題はなかったのでしょうか。この程度の文章力ならば、多田治氏が大学に書類の書き直しを何度もさせられても、おかしくはないようにも思います。

f:id:accusationwrongdoing:20220415180828p:plain

f:id:accusationwrongdoing:20220417234710p:plain

また、松島氏への反論で、藤原書店『環』に発表した自分の論文では、自分の意図に反した改稿を強制されたと示唆しています。これもひどい。就職のために一本でも論文の業績がほしい大学院生や非常勤講師ではないのだから、学者としての自分の見識に沿わない改稿を求められたのならば、原稿を引き上げて雑誌に上梓しなければいいのです。もし藤原書店との関係をつないでいれば、将来、著作の出版もしてもらえるかもしれないと打算に走って妥協したとしても、そのこと自体は無節操として責められないでしょう。しかし、このようにその数か月後に『琉球新報』で改稿の強制を暴露したら、何の意味もないではありませんか。そして、結局、松島氏も藤原書店派に属するという理由だけで遺恨を抱いて『琉球新報』で松島氏に場違い、人違いの復讐をしていると見られてもしかたのない議論です。

結局、本題とは関係のない一橋大学藤原書店について読者には何も有益なことは言っておらず、自分の優柔不断、日和見から起きた不愉快な出来事で被害妄想に駆られて、グチをこぼしているだけです。こういう余計なことに字数を割くその一方で、松島氏の著書に関しては、書評の一般的な礼儀に反して何の内容紹介もせずに「内在的発展論」というひとことでかたづけてしまっています。

 

結論 多田治氏による引用元の文の改ざんは許されざる行為、反論全体がただのペテン

 

さて、本筋に戻りましょう。以上のように見てくると、多田治氏による改ざんが終始計画的なものでないとしても、“自分さえよければ、相手に何をしてもいい、相手を傷つけられればそれでいい”という悪意があったことは明白でしょう。多田治氏はいろんな話題に首を突っ込み、本も読んでいろんなことばを使い、学者の名前もいろいろ挙げるけれど、すべての話題に中身も展開もオチもない。要するに、読者はプロのライターになれなかったはずの人が書く悪文を読まされているわけです。それよりも問題なのは、多田治氏が世界、自分、他人に対する認知の歪みを他人のせいにして他人を攻撃する性向を備えていることにあります。端的に言って、多田治氏自身は自分は頭も性格も人一倍よく、自分は社会学者であり、逆に相手が経済学者であろうと、松島氏を子ども扱いしてもいいほど自分は全能であるとうぬぼれてはいるものの、しかし、実際の多田治氏自身は頭も性格も悪く、嫌がらせを多用する私刑に議論を変えてしまい、時として、高校生程度の国語力ももたないことが露呈します。多田治氏が思い描いている自分自身の姿と現実の彼自身の姿とのあいだのギャップは激しいのです。十年以上前の出来事だとはいえ、当時もう准教授で37歳でした。おそらく何らかのカウンセリングを受けることもなかったでしょうから、多田治氏の思い込みの激しさ、誇大妄想癖はいまだに矯正されていないでしょう。

繰り返しますが、双方ともが自分のことが大好きで、他人と有効な対話ができないかもしれませんが、松島氏と多田治氏との根本的な相違は、多田治氏には、大きな認知の歪みに加え、他人を傷つけようとする嫌がらせ気質があることです。

この多田治氏の時評は一橋大学の教員紹介のページに今も「業績 その他」のひとつとしてリストに記載されていますし、本人が主張するように副業ではなく、研究の一環、研究者としての資格において行ったものです。近年であれば、渡辺真由子氏、深井智朗氏、黒瀧秀久氏らの不正よりも小さく見えても、多田治氏に関しては、あたかも肩が触れた程度でただの通りすがりの他人に対して危害を加えようとする強い悪意を表していることには驚くべきものがあります。

しかし、多田治氏はたまたまこの件だけでおかしかったのではないか。読者はそう思われるかもしれません。しかし、筆者の知るかぎり、多田治氏は、一事が万事、この調子で、バカなのに、自分を全能と信じ、他人を上から見下ろしている人間、それをつかれると屁理屈や揚げ足取りや嫌がらせで応戦して決して自分の無能を認めないこの時評のとおりの人間でした。筆者が沖縄で誰も指摘することがなかった本件を国会図書館で発見したのは、多田治氏が性格も頭も悪いという確信が筆者にはあったからです。筆者が多田治氏に個人的に連絡を取ってこの件を知らせないのも、また嫌がらせをされるのが嫌だからです。

次回、二年近く前に一橋大学に研究不正でこの件を審議してほしいと窓口になっている弁護士の先生に匿名で告発したあとの顛末や『琉球新報』に匿名で文書を送ったあとの顛末などについて書くことにいたします。